高梨選手の振る舞いからみる「ひとりでやる」と「みんなでやる」の違い

昨日の朝、高梨選手のチャレンジが4位という結果が幕を閉じたことが報道された。今日は、報道や高梨選手の振る舞いからの気づきを書いてみたい。

まず、報道を見ていて感じたことは「バッシングが想像以上に少ないこと」だった。昨今のメディアを見ていると、期待された結果が出ないと安易にバッシングに走る傾向がある。特に今回はメダルの大本命候補であったこともあり、これ見よがしに手のひらを返すと思っていたら、意外とそうでもなかった。

これにはいくつか理由があると思う。すぐに思いついて、かつインパクトも大きいのは、17歳という年齢に起因する幼い印象から来る、持つ保護者的なマインドだろう。僕らには「バッシングしてはかわいそう」という感情が、共通してなんとなくあるような気がする。

次にあるのは「メダルを逃すことへの想定」ことだろう。17歳でオリンピック初挑戦なんて、普通の精神状態で臨めるとは考えにくい。期待を掛ける一方で、どこか結果が出なくとも仕方が無い、と感じた人も一定数いたのではないだろうか。

そして「実はこれが一番効いている」と僕が考えている、3つ目の理由は「高梨選手の姿勢」だ。

高梨選手は飛ぶ前から「感謝の気持ちを持って飛びたい」と話していた。メダルが目の前に待っているとなると、ついつい自分本位になってしまってもおかしくないだろう。仮に自分に置き換えてみても、仕事で勝負が掛かった場面で「感謝の気持ちを持って取り組みたい」と本当に言える自信は正直無い。それにも関わらず高梨選手は「誰かのために」飛ぶ決意をしていた。この姿勢は本当に素晴らしいと思う。

また、そもそもなぜこの3つ目の理由が一番効いていると考えているかというと、それは、メダルを逃した後も「高梨選手を助ける人がどんどん出てきている」からだ。

例えば、こんな記事があったり、こんなフォローがあったと伝えられている。これは結果ではなく、高梨選手のこれまでの取り組み姿勢そのものを見てきたからこそ起こったことではないだろうか。助けてもらえると、自分の力は2倍にも3倍にもなる。

金メダルを取ってもちょっとした一言で一気に人が離れていく選手もいれば、たとえメダルに手が届かなくとも、どんどん人が助けてくれる選手もいる。果たして自分はいま、どちら側にいるだろうか?そんなことも、この一連の報道を見ながら考えさせられた。

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