対話のKPIとは何か?

先日、とても深い対話の場に参加してきました。一人ひとりが心の内にあることを場に出しながら、価値観や考えを確かめ合い、必要なものが共創造された感覚がありました。

対話とはよくディスカッションと対比して語られます。ディスカッションは結論を出すための話し合いで、白黒つけることが求められます。一方、対話は、テーマはあれど、あるべき結論は無く、対話の結果、もやもやとした感じで場が閉じることもあり、それが良しとされることが多くあります。

だから、対話は何か特定の結論が出なくて良いのです。では、いったい対話はどうなれば成功と言えるのでしょうか?もちろん「対話の場はこうあるべき!」という定義はありません。ただ、僕らはそう口では言いながらも、「この対話は良かった、あの対話は何だかイマイチだった」となどと感じがちです。つまり、僕たちはどこかで「良い場とそうでない場の違い」を知っているのです。

こういう時に、よく聞かれる言葉は「意識が変わった」です。まあ、確かにそうだと思います。ただ、どんな意識が、どれ程度変わったかはたいていの場合分かりませんし、何だかそれを明確にするのは野暮ったいという感覚があります。(もちろんきちんとした成果を明示するためには必要なプロセスかもしれませんが)

次に聞かれるのは「行動が変わった」でしょうか。これにも反対ではありません。ただ、対話を用いて行動までを変えようとするのは、ややコントロール感が強い気がします。こういう時は、大体のケースにおいて「求められるあるべき行動」があったりします。そのプロセスに向かう数多くのプロセスの一つとして対話が用いられることに違和感ありませんが、対話だけで求める行動まで持っていくのは厳しいのでは?と考えます。

では、いったい何があったら、その対話は実りのある場であったと言えるのでしょうか。僕はその一つとして「意志ある次なる行動が生まれたか否か」だと考えます。「意志ある次なる行動」とは、対話を経て生まれた何かしらの願いが込められた、その願いに向かって進む行動のことです。「意志ある次なる行動」であれば行動の内容や大きさは問いません。多くの場合、大きな行動の第一歩は小さな行動です。

冒頭に紹介した対話の場でも「意志ある次なる行動」が生まれていました。しかも複数も。対話の場に「成果」を持ち込むことには反対の人もいるでしょう。しかし、対話の場をレベルアップさせていくためには、基準を持ち、その基準に沿って真摯に振り返っていくということが現時点では必要だと思います。主催者や参加者の自己満足で終わっている対話の場がかなり存在するように感じています。僕の基準が高すぎるのかもしれませんが「えっ、これで良いって言っちゃっていいの?」と感じる機会はまだまだ多くあります。(どう少なく見積もっても5割は上回っています)

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