やりたいことではなく、やるべきことを探す

今日の東京は雪ということもあり、所用を済ませた後は、「プレイフル・プロジェクト」の企画を進めていた。

 

その中で読んでいた「独立国家のつくりかた」からの一節を今日は取り上げてみたい。

独立国家のつくりかた (講談社現代新書)

 

    やりたいことは無視して、自分がやらないと誰がやる、ということをやらないといけない。しかも、それは実はすべての人が持っているものだ。絶対に。なぜなら人間は考える葦と言うじゃないか。考えているのだ。自分の得意なこととかやりたいこととかはどうでもよくて、ただ考えている。それを口に出す。
  • 僕はそれだけだ。好きでやっているとか、そんな動機じゃない。もっと切実な動機でやっている。こんな大人たちに任せてしまっては大変なことになると思った。使命と言っては大げさかもしれないけれど、これは自分がやらなければならないと心に決めたのだ。自己実現をするのではなく、社会実現に向かっていく。それをまず決めるんだ

僕もこの感覚に同感だ。仕事柄、キャリアを扱う場面も多く、その際は「やりたいこと」から考えることも多い。しかし、この「やりたいこと」起点から、本当にパワフルな案が出てくることはあまり無いように思う。

本当にパワフルなアイディアは、恐れを感じながらも「これは自分がやるべき」という使命感とも言える感覚があるものだ。

では、どうやって「やるべきこと」を見つけていくのだろうか?僕は「社会や生き方に対する怒りや疑問」がきっかけになると考えている。そこから見えてきたものを徹底的に深堀り、希求する社会を想像する、この怒りや疑問に正直に向き合うことこそが自分の使命感を呼び覚ましてくれる。

ちなみに、僕が今持っている怒りや疑問、問題意識は以下のようなものだ。

  • 人は本当はたくさんの魅力があるのに、そのことに無自覚な人が多い
  • 人の真なるもの(真・善・美)を開発したい。ただし宗教的な方法論ではなく。
  • 人が育つことそのものというより、真の可能性に気づくことがうれしいと感じている
  • いまの会社や多くの組織システムは、集う人々の可能性を活かしきっていない(自分の能力を出したくなる自由な空間づくりができていない)
  • 「働き方」「生き方」を取り巻く状況が変わる中、現状の延長線上ではなく、新しい観点(=未来の観点)から、「働くこと≒生きること」を見つめ直すことで、何かしら創発を生み出す場をつくりたい
  • 具体的には、会社や組織で働きながらもライフワーク(プレイフル・プロジェクト)を実現していく生き方を創ってみたい

こうやって書き出していくと、自分の中の感覚がどんどん研ぎ澄まされていく。次は具体的にどんなことをやっていきたいのか?そしてやるべきなのかを考えていきたい。

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