『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』の著者、渡邉格(いたる)さんのお話をお伺いして

ソーシャルイノベーション

先日、『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』の著者、渡邉格(いたる)さんのお話をお伺いしてきました。社会4.0を実現する上でも、特に重要と考えられる経済4.0のケース研究としてです。このテーマは理論的な整理がされている訳でもなく、かつ実例もまだまだ少ないので今回のように当事者からお話をお伺いできる機会はとてもありがったです。

 

自然のプロセスに身を委ねることで生み出されるもの

お話のなかで最も印象的だったのは、パンをつくるために必要な材料、たとえば天然酵母や小麦に「農薬・肥料を一切使っていない」ことです。

農薬であるならばまだ不使用であることはわかりますが、有機肥料も使っていないということです。有機肥料を使ってしまうと養分が過多になるためです。

さらに渡邉格さんは、このメカニズムは農業だけでなくあらゆることに言えることなのではないかともおっしゃっていました。

人は余計なことをし過ぎる。人ができるのは育てることではなく、育つ環境をつくることだけ。育つ環境があれば、勝手に育つし、そう育っていったものの方が人が変に手をかけて育てたものよりも生命力があっていい、ということでした。

そして僕はこれこそが社会4.0、そして経済4.0の重要な原則のひとつではないか?と考えています。

 

いまの社会/経済システムの源:恐れを取り除くべく努力する

いまの社会活動や経済活動の多くは、人が何かしら介入することによって成果が生まれています。たとえば会社で言えば、継続して成長していくために、ストレッチする目標を掲げて、その目標に向かって努力し、それが達成できたらさらに高い目標を掲げる。ほとんどの会社がこのシステムを採用しています。

このシステムは社会でも適用されています。やはり前年以上の経済成長を掲げ、その達成が重要なゴールとして認識されています。

このシステムの源泉にあるのは「恐れ」です。達成できなかったら、成長できなかったら自分たちが滅んでしまうという恐れから、目標が設定されているのです。だから人はどこかおかしいと思っていてもこのシステムをなかなか手放せないし、そもそもおかしさを感じてすらいない人もいます。

「恐れ」で到達できるのは、せいぜい「調整」で成し遂げられるものだけです。しかもその調整とは人や組織が何かしら我慢をしたり、無理をしたり、させたりすることとほぼ同義なので、どうやったってポテンシャルが活かし切れません。農薬を使ったり肥料をあげたりすることは、ここでいう「無理をさせる」ことにあたります。

この状態でももちろん目標を達成することはできます。でも、たとえ目標を達成しても、そこにあるのは自己効力感と安心感だけで、次の瞬間には再び恐怖が訪れます。そしてその恐怖を払拭するべくさらなる高い目標を立てる…、これがいまの社会で起こっていることです。

 

システムの源泉をシフトする際のカギとは?

このシステムからシフトするにはシステムの源泉を「恐れ」から「全体性」へと起点を移す必要があります。ここでは敢えて「全体性」という曖昧な表現を用いています。それは特定の何かを定義した瞬間に、それに捉われてしまうという難しさがあるからです。

とはいえそれだとあまりにも掴みにくいので、できる限り明確にすると、少なくとも「恐れがあっていい」ということになります。「恐れ」から源泉をシフトしようとしても、その先に「恐れがあってはダメだ」があると、結局「恐れを恐れている」という所から抜け出せていないからです。やや矛盾しているように感じられるかもしれませんが「恐れはあっていい」に立つことによって「恐れ」から抜け出せるのです。

渡邉さんも当初は肥料をまったく使わないことへの恐れがあったと思います。また、いまでも刻々と変わる環境を相手にしながら日々パン作りと向き合っていく中では恐れを感じているかと思います。その恐れを抱えながらも、創り出したい現実と繋がりながら仕事をし、生計を立てている。これこそが経済4.0の一つの形だと思いますし、渡邉さんのような人たちが繋がって社会を形成している姿が社会4.0でもあるというのが現時点での仮説です。

もちろん、これだけが経済4.0の形ではありません。むしろ色々な形があり得るのが経済4.0のおもしろいところなのです。

これからもしばらくはこの分野を研究していこうと考えています。おもしろい人やイベントなどがありましたら、ぜひ教えてください。

 

 

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