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システムを見るリーダーからシステムを創るリーダーになるために必要なこと

geralt / Pixabay

先日、友人に招待いただいてソーシャルマネジメントラボという勉強会に参加してきました。この勉強会は、「社会的価値」「経済的価値」「組織の幸福価値」の実現を目指す様々な組織の経営者が学びを深め合う場であり、今回はかものはしプロジェクト共同代表・理事長の本木 恵介さんのお話をお伺いしました。

 

社会変革の最前線に立つことで生まれた気づきとは?

今回お話をお伺いするまで、かものはしプロジェクトは直接的にサービスを提供している団体だと認識していたのですが、今回お伺いしたインド事業の場合、インドの政府や自治体と連携して社会問題の解決(かものはしプロジェクトの場合は「子どもが売られない社会をつくる」)に当たっているそうです。そう考えると、ファンドやベンチャーキャピタル的に近い形態かもしれません。このモデルを聞いただけでも、かなり難易度の高いプロジェクトだろうなと感じましたが、それをインドで日本のNGOが行うということは更なる困難さが待ち受けているであろうことは想像に難くありません

そんな経験を経る中での本木さんの言葉はとても印象に残るものでした。

 

両者共に「なぜ人は変化を拒むのだろう?」という文脈から出てきた話でした。ついつい、人は「正しければ動く」という考えに陥りがちです。でも、自分が怒られた際などが典型的ですが、正しがあれば自分が動くかというと、必ずしもそうとは言い切れません。正しさだけを主張しても、それは自分にとっての正しさであることが多く、相手からすれば、ただ自分の都合を押し付けられているだけ、と感じる場面も少なくありません。

昨年ごろからソーシャルベンチャーを立ち上げられたNPO・NGOの方と接する機会が増えているのですが、このフィールドにいる人は特に「正しさの罠」にハマりやすい構造にあると感じています。そもそも何らかの社会正義を目指して立ち上がった方が多く、それを自明のものとしてしまいがちです。これは人が悪いのではなく、「正しさ」が源泉に使われやすいシステムだからです。

ただ、社会問題になっているぐらいなので、理屈上の「正しさ」を述べるだけではなかなか社会は動きません。そのため、現在ではデータやエビデンスを重要視し、事業を推進する動きが加速しています。

しかし、データやエビデンスもあくまで「正しさ」を別な側面から切り取っただけです。それが数字という共通に扱いやすい表現になっているため、パワーを持ち、受け入れられやすくはなりますが、いくらデータを指し示しても動かない人はいるように、限界があります。

以上のように、正しさは絶対的なものではないがために、見解の違いに繋がり、分離を招くことがあります。その際、必要なのは分離を生んでいる背景にアプローチすることです。本木さんはそれを「尊厳」という言葉で表現されていたのだと思います。

本木さんは最近、社会を変えるというより、社会を育むという感覚になってきていると話していました。これは僕も共感できる感覚でした。

 

ありたい社会を育むためには、力も必要、愛も必要

また、次の北風の話は個人的な経験もあり、とても響きました。NPO・NGOの活動というと、何となく「太陽アプローチ」を大事にするイメージがあります。本木さんも当初はそのように動かれていたとのことですが、やはり思うように動かず、途中で方向転換したのだそうです。

本木さん曰く「北風は怒りの表現。怒りは本来ニュートラルなもので、噴火させたらいい」ということです。この北風の話はアダム・カヘンの「LOVE&POWER」のコンセプトとも重なるところがあるように思いました。

ついつい太陽アプローチを取りがちな人や組織には北風アプローチが、北風アプローチをとりがちな人や組織には太陽アプローチが必要なのでしょう。

僕個人の話をすれば、ついつい太陽アプローチを使いがちなので、勝負どころでは北風アプローチを取るように意識し始めたところです。うまく行く時もあれば失敗する時もあり、特に失敗した時は傷も大きいのですが、逆に成功すると既存のパターンを超える体験になることが多く、自己を拡大させるという意味でもしばらく続けていこうと考えています。

 

カリスマ型でもなく、ビジョン起点でもないリーダーシップのあり方とは?

個人的にこれから引き続き探求したいのは「正しさをドライバーにしないリーダーシップのあり方」です。僕が普段接している企業社会ではまだまだ「正しさ」を軸にしてしまいがちです。これは一見良さそうに見えるし、実はラクなのです。このビジョンが正しい、この戦略が正しい、この人は正しい、そうすれば思考停止できるからです。その正しさが機能しているうちはまだ何とかなりますが、今の世の中、正しさはコロコロ変わります(なんだか矛盾した表現ですが。。。)

だから、ある時点での正しさを起点にしてしまうと、先にも述べたようにどこかで限界が訪れます。この先の可能性としては、正しさを超えた先にある人としての普遍性なのですが(それが先日の「ヒトが人として生きられる社会を創る」につながります)、具体的な方略はこれから磨く必要があります。

今回の機会、ソーシャルベンチャーの最前線で起こっていることをキャッチアップでき、かつ自身の内省にもなる一石二鳥の機会となりました。

 

 

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