問いはデザインできるのか?

ファシリテーション

今日は「問いをデザインする技法を探る-ワークショップにおける”良い問い”とは何か?」というワークショップに参加してきました。

以前、Facebook上で「良い問いをつくるためのリソース」について書いたことがあるのですが、その時、非常に多くの方からリアクションを頂いたこともあり、僕の中でも関心が高くあり続けるテーマです。

ワークショップでは講義と演習を交えながら、参加者同士で「良い問い」について考えを深めていきました。今回は内容そのものというより、特に興味深かったエピソードを中心にご紹介します。

ワークショップの中で、実際に問いを作って投票し、その結果をもとに、問いに答えてみる演習がありました。そのワークは以前もやったことがあり、その時は満場一致で「良い問いだ!」というものが生まれたそうです。しかし、実際にその問いに答えてみると、どのグループも同じような結論に至ってしまったとのことです。

そして今回の場合は、決定的な良い問いが出ず、トップだった問いに対し「良い問いだ」という票と「う〜ん、と感じる問い」という票がバランス良く入るという現象が起きました。

この二つから何が言えるかというと「良い問い」を定義するのは極めて難しいのではないか?ということです。

確かに「問いの作り方」には一定のセオリーは存在します。ただ、そのセオリーを使えば、いつでもどこでも良い問いが創れる、というわけではないようです。そもそも、問いはデザインするというより、降ってくるようなものではないか、という感覚を強めました。その「降ってくる感度」を高めることはできるのではないか?それを高めることが、問いを産む力を上げるのではないか?というのが現時点での仮説です。

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