古典を読み始めるタイミング

学習・成長理論

この間もブログに書いたのですが、最近「易経」を読み始めました。ある方からご紹介頂いたのがきっかけですが、今の自分の問題意識と合っており、読み進めることができています。

僕はこれまで何度か古典に挑戦してきましたが、だいたい失敗に終わってきました。ですが、今回は内容を理解した上で読むことができています。その違いがどこから生まれたのか少し考えてみました。

要素としては色々あるとは思います。人からご紹介頂いたこともあるでしょうし、長文ではなく短文+解説という構成のため、少しずつ読めるということも理由の一つにはあります。

しかし、一番大きい理由は「古典を消化できる経験を積んだこと」にあります。易経は英語で「Book of Changes」というタイトルです。仕事柄、人や組織の変化についていろいろと考えを巡らせてきたこともあり、内容が入ってきやすかったのです。つまり、書いてある事を解釈できるだけの経験数が一定度溜まったことが、今回易経を読めている理由だと考えています。

 

これはあらゆる古典に当てはまるのではないかというのが僕の見立てです。古典というものは得てして、原理原則が書かれています。逆に考えれば、原理原則しか書かれていないとも言えます。経験が足りない時に原理原則をインプットしても、そもそもそれが原理原則であると気づけません。ある程度の経験を積んで、その経験全てに当てはまる法則の存在に気づかないと、古典の良さを体感することは難しいのです。

読書家の方はよく「古典を読め」とおっしゃいます。そのアドバイスは正しいと思いますが、すぐに古典に挑戦できるかどうかは、その人の持つ解釈力、そして経験の蓄積に拠るのではないでしょうか。

一定の経験を積んで、古典に立ち戻り、その感触からフィードバックを貰って、新たな経験に繋げる、こんな成長サイクルの中で、古典を活用することがベストな活かし方なのではないかと思います。

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