成人の意識発達について調べていく中での気づき

イノベーション

この7月から、改めて「成人の意識発達」について、インプットを始めました。

成人の意識発達はここ数年で日本でも知られるようにはなりましたが、肝心の発達を促す方法論については、ほとんど整理されていなかったり、整理されたとは言っても、まだまだ実務では活用できるレベルには至っていないと認識しています。

そんな中で「なんちゃら理論」や「なんとかメソッド」のような手法だけが一人歩きしており、それらの手法を元に、提供者の勘と経験だけを根拠にデザインされたプログラムが市場に提供されているのが、現状の日本における意識発達教育の現状です。

この手のことを扱ったり、提供する人の中には「なんでこれが広がらないのだろう?」(もっと広まってもいいのに)という人は少なくないですが、日本社会の意識段階を踏まえると、科学的な観点で検証されていないプログラムはむしろ広まらなくて当然だと言えます。(正確には一部には広まりますが、マジョリティになることは決してありません)

 

今回のインプットは、企業における人材育成に耐えうる実証性と論理性を担保できるレベルを目指して行っているため、まだまだ先は長いのですが、そんな中でも色々な発見があります。

例えば、幼少期の言葉を使えないような時期の記憶やその解釈によって形成された信念が大人になっても強く影響していること、トラウマ的なものを解消するアプローチとチャレンジを促すアプローチは方向性が異なることなど、です。

幼少期の影響はよく言われるようにインパクトが大きいらしいのですが、記憶になっていないことも多く、またその記憶自体も既に歪んでいて正しく認知できていないため、いざ扱おうとしても大変手間がかかることが多いなど「健全に発達する」ということは概念上は存在しても、机上の空論に近く、現実ではほぼ無理ゲーなのだなと、調べていく過程でよくわかりました。あまりにも健全な発達への要求水準が高いため、「人間の発達が複雑であることには果たしてどんな意味があるのか?」とすら考えてしまいました。

 

また、他に気になったことに、意識の発達を促すためには、発達課題と呼ばれる葛藤を伴う体験に身をどっぷりと委ねることが必要という指摘がありました。
しかし、企業の人材育成では「早期化」が急速に求められています。10年ぐらい前は、新人が1人前になるのは10年掛けるという企業も珍しくなかったのですが、昨今すっかり聞かなくなりました。逆に3年の育成期間が2年になったり、1年になる、というような話は増えているように感じます。

こう考えると、企業の人材育成は発達理論の観点から見ると、あまり理にかなってはいないように思います。もちろん、その短い時間の中に「深く濃く葛藤を味わう体験」が含まれていたり、それがあらかじめデザインされていれば別でしょうが、どうやらそういう訳でも無さそうです。

どうしても我々は何でも「早い方がいい」「なるべく負担なく進める方がいい」などと、「効率化」という価値観を重視してしまいがちですが、トータルで考えると、それが正しいとは言えないのかもしれません。

そして、このような理論を背景に「早期化」「効率化」を悪と断ずるのは一見簡単なことです。ただ、その考えは「早期化」「効率化」を求める人と同じ思考レベルに留まっていることを意味します。

「早期化」「効率化」が望ましい結果をもたらさないと、どこかわかっていながらも、なぜ私たちは「早期化」「効率化」を望まずにはいられないのか?どこか駆り立てられるようにそれを求めてしまうのでしょうか?

このような問いに向き合うプロセスを経ないと、いとも簡単に二元論に絡め取られてしまいます。僕なりに現時点の回答はありますが、それはまた日を改めて触れてみたいと思います。

 

 

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