今日は「多元的共生を目指す社会を支えるコミュニティワーク」と題されたシンポジウムに参加してきました。内容というよりは演者の武田先生のお話をお伺いしたく参加をしました。なので、コミュニティワークというものについてあまり知らずに参加をしたのですが、実は僕の関心領域と関わりがあり、考えを深めることができました。
いまのコミュニティの現状と限界
僕は企業における人材育成や組織開発がメインフィールドですが、最近はNPO/NGOや市民団体の事業・組織マネジメントについて相談を受ける機会が増えています。
よく聞く話としては、本来的には近いビジョンの実現を願って活動しているはずなのに、思想などの微妙なズレを許容できず、連帯が失われてしまったり、分裂が起きてしまうということが散見されるというものです。
この手の話は、表面的にはリーダーシップの話やスキルの話として扱われることが多いのですが、深層には「私たちは正しくて、あなたたちは間違っている」という二元的な心理構造があります。
この構造が根底にある限り、どんなに努力しても最終的には分断を招いてしまいます。で、さらに正しさを追い求めるか、仮想敵を糾弾するか、疲弊して活動が止まるかのいずれかに陥ります。
そして、この構造はまさにいま日本で起きようとしていて、さらに加速してくると僕は考えています。例えば労働時間の問題です。いま起きようとしているのは「残業や長時間労働は悪」という流れです。これは一見「正義」のようにも思えますが、それだけにタチが悪かったりします。「正しい」を立ち上げると、必ず逆の立場が立ち上がってきます。例えば、「残業したっていいじゃないか、長時間労働したっていいじゃないか」という声です。
そしてこの対立がエスカレートすると、もはやイシューそのものではなく、対立構造にどう対処するかに論点がすり替わってしまいます。対立構造に対処することはなんとなく問題を解決している効力感は感じられるかもしれませんが、現実は一歩も前に進んでいません。むしろそれにエネルギーを取られているため後退しているとさえ言えます。
ここまでの流れをまとめると、「正しい・正しくない」の二元性に支配されていることがいまのコミュニティの停滞を招いており、次のステップに進むためにはこの「正しい・正しくない」の構造から脱する必要があるのではないか?ということになります。
これからのコミュニティの駆動原理「人としての普遍性をベースにしたコミュニティマネジメント」
では「正しい・正しくない」を超えた先にあるものとはいったい何なのでしょうか。ここから先は僕の仮説ですが、それは「人としての普遍性」にあると考えています。「人が誰しも持つ大事にしているもの」を源にコミュニケーションを積み重ねていく、それが次なるコミュニティの駆動原理になるのではないでしょうか。
そのためには、まず「人が人であるということはどういうことなのか?」についての理解が必要になってきます。個人的には市民団体に限らず、会社組織においてもこの「人が人であることに対しての理解」が浅いと感じています。だから、人を無自覚的にコントロールしようとしたり、自己否定に陥ったりしてしまうのではないでしょうか。
「人としての普遍性」をベースにマネジメントしていくためには、まずその組織の一人ひとりが「人という存在」に対しての一定以上の理解が必要です。その上で、普遍性をみんなで扱っていくためのスキルが必要です。そのため道のりは決して平坦ではありません。
しかし、その先には「正しさ」による対立を超えた新しい組織や人のあり方が出現することになります。個人的にはこれからの社会の発展や解放に向かっては、この「人としての普遍性」がカギになるのではないかと考えています。