「私が創り出す社会」と「私たちが創り出す社会」との違い

今回はちょっと哲学的な話。自分の中でもまだ整理がついていないのだが、もやもやを整理する意味でも書き記しておきたい。

今日はAuthentic Dialogeというダイアログに参加した。そこで対話のテーマに上がったのが、タイトルにもある「私が創り出す社会」と「私たちが創り出す社会」だった。

対話の結果、見えてきたのは以下のようなギャップだった。

 

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 一人ひとりは良い世界を創りたいと願っているにも関わらず、集団になった「私たち」が創っているのは必ずしも良い世界では無いという現実がある。

こうして改めて眺めてみると、個人の意識を扱うことと、集団の意識を扱うことは似て非なるものであることに気づく。起点はもちろん個人の意識から始まるが、個人の意識の重なりだけでは、集団の意識の変容は起こらないということをこの図は示している。

そこで諦めるのではなく、「一人ひとりは良い世界を願っているのに、なぜ集団になると思うような世界が創れないのか?」この問いに向き合うことこそが、世界を変えていく一歩になっていく。

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