今年はなぜか身体知について学ぶ機会に恵まれています。春先のクリーン・ランゲージからの流れなのですが、自分から取りに行ったというより、お誘いを受けてという形になっているのが興味深いところです。
今週も3日間、身体知について学ぶ講座に参加していました。
いつもであれば講座について紹介するのですが、今回は講座そのものではなく、この1年身体を通じた学びを重ねていく中で、身体の特殊性について明確になってきたことがあり、それを扱ってみます。
身体はヒトにとって最も身近で、最も遠いビッグデータ?
学んでいくうちに身体知にはいくつかの特徴があるのではないか?と考えるに至りました。いずれも何かの理論で裏付けられているわけではなく、まさに身体を通じて生み出された気づきですが、ご紹介します。
- 身体知は因果律を超えている(複雑性が高すぎて人間の認知の幅を超えている)
- 身体知は動的であり、瞬間瞬間でメッセージが変化する
- 身体知には正しい・正しくない、良い・悪いなどの二元性が無い
まず最初の因果律についてです。実はこちらについてはまだ検証中でして、本当に因果律を超えているのか、それとも複雑性が高すぎるがゆえに人間の認知レベルを超えていて、因果律を超えているように感じられるのか、まだ自分の中で結論は出ていません。
ただ、身体知は「こうだから、こう」という論理が通用しにくい領域であることは言えると考えています。例えば、感情は身体の特定の場所に宿ると言われていますが、どうやら場所が決まっているわけではなさそうです。もちろん一定の傾向はあるのですが、同じ感情であってもその感情を感じた出来事によって、場所が変わることがざらにあります。
そして、さらに二つ目の特徴である「瞬間で瞬間でメッセージが変化する」と合わさると、ますます複雑性が増していきます。身体に考えを尋ねると「さっきはYESといったけれど、いまはNO」と言われることは珍しくありません。一見、矛盾しているように感じられるのですが、身体から言わせると「その瞬間は確かにYES。そして今この瞬間はNO」、ただそれだけなのです。ちなみに、たいていこうなる時は葛藤状態にあったりしますので、その葛藤を扱ってほしいというメッセージである可能性もあります。
最後は正しい・正しくない、良い・悪いの話です。これは特にクリーン・ランゲージのセッションを行っている際に感じていることです。クリーン・ランゲージのセッションは実に多様で、ファシリテーターの想定を遥かに超えた展開が毎回訪れます。もちろんプロとして相応の想定をした上で臨みますが、実際にその想定どおりになることはまずありません。最初はケース分類などができるのでは?と考えていましたが、あまりに多様すぎるので、今では「すべてが正しくて、良い・悪いは無いのだ」と考えるに至りました。
以上、自分の体験をもとに身体知の特徴を紐解いてみました。そして見出しにもありますが、「人間の認知を超えた複雑性」「動的」などの身体知における特徴は、実はビッグデータについての議論でもよく言われていることでもあります。
ここから先は完全な仮説ですが、人の身体の中で起こっているミクロな振る舞いと世界で起こっているマクロな振る舞いはどこか構造的な共通点があるのではないか?と考えています。
人という世界を構成する「部分」を突き詰めていくと、いつか、どこかで、世界の「全体」に繋がる、そんな予感がしています。