今日はここ数日体調が本調子でないこともあり、午前中は静養した後、午後は「CCC presents 第三の道【第15回】生きる力につながる☆放射能講座 by 映画監督 鎌仲ひとみさん」に参加してきました。
なぜこのイベントに興味をもったのか?
僕は大学時代にドキュメンタリー映画およびドキュメンタリー映像作家の方の研究をしていました。今回のゲスト、鎌仲ひとみさんも著名なドキュメンタリー映像作家のお一人で、大学時代からお名前は存じ上げていたのですが、直接お目に掛かる機会はありませんでした。
また、ファシリテーターの由佐さんからも「鎌仲さんは放射能というテーマを扱っているけれど、深刻さ、正しさ、戦ってる感ゼロ。軽やかで爽やかで明るくて、そしてこの世界に対してとてつもなく大きな愛をもっている」とお伺いしたこともあって、一度お会いしたいと思っていたので、今回参加することとしました。
映画「小さき声のカノン」を観て
「小さき声のカノン」は福島で被曝したお母さんが子どもを被曝の被害から守るために立ち上がる過程を描いたドキュメンタリー映画です。
この映画を観て感じたことは「誰かではなく、1人1人にできることがある。皆とつながりながら、自分に何ができるのか、将来のために何ができるのか向き合っていきたい」ということでした。ドキュメンタリー映画はそのリアリティさゆえに凹むこともありますが、自然と生きる力が湧いてくる素敵な映画でした。
システムが創り出す問題が創り出す根源的な罪悪感とは?
今回は映画鑑賞の後、鎌仲さんと共にダイアログをしました。
その中で「放射能の問題を語りにくくしているのは、自分たちは被害を被っていると同時に、日々電気を使用している加害者であることから生じる罪悪感の存在があるから」ということが話題になりました。
確かに、「よくこの問題を引き起こしたのは誰か?」というテーマが話題になることがあり、その際しばしば聞かれるのは「私たち一人ひとりの意識がこの問題を創り出した」という声です。
僕もそう考えていますし、真実を含む声だとは思うのですが、この声を聞くたびに「それはそうなんだけど…」という無力感も感じていました。
そしてこの声は放射能の問題に限らず、組織における問題をテーマにする際にも自分の中で湧き上がっていた声でした。組織の問題の多くも誰かが創り出したというよりは、その組織の一人ひとりが何らか加担することによって創り出されています。だから組織の問題を解決しようとすると、自分にもその矛先が向くことになり、そこはかとない居心地の悪さが漂います。僕はこの居心地の悪さから来る抵抗感や無力感こそが、組織開発や組織変革の困難感を創り出しているのでは?と考えています。
放射能による問題、組織の問題、共通するのは「複雑性の高さ」です。
複雑性は以下の3つに分類されます。
- ダイナミックな複雑性:原因と結果が時間的空間的に離れていることによって生じる複雑性
- 社会的な複雑性:価値観・信念・利害が相反していることによって生じる複雑性
- 出現する複雑性:予測不可能性が高い変化によって生じる複雑性
放射能、組織ともにこの3つの複雑性があり、論理的思考をベースにした問題解決だけでは解決に至りません。
このような状況の時には、確かにわかりやすい行動ではなく、一人ひとりの意識やあり方を見つめ直すことが王道なのですが、先にあるような抵抗感から思うように事が動かない場面が多くあります。
システムが創り出す問題を解決するには?
その際にポイントとなるのは、一見遠回りかもしれないけれど、問題を引き起こしているシステム全体の構造を変えうるレバレッジポイントを発見し、そこに働きかけることです。組織の問題で言えば「目を見て挨拶をする」「掃除をする」などの手軽なものから「語られていない声を表に出す」など重めのものなどいくつかバリエーションがあります。
今回、お母さんそして鎌仲さんがたどり着いたレバレッジポイントは、子どもたちを一時期放射能汚染のない安全な地域に子どもを送り、一定期間過ごさせる「保養」というアクションでした。確かに保養だけでは放射能の問題は解決しません。しかし、保養は日常的な放射能汚染を軽減すると共に、放射能に立ち向かう人々のネットワークを創ることに繋がっていきます。その繋がりこそが一人ひとりが立ち上がる勇気をもたらすのです。
今回の講座は、放射能に対するリテラシーが高まったと共に、社会的な問題を扱う際に求められるあり方、そして複雑性の高い問題解決へのアプローチなど、様々なことを学ぶことができました。この映画がもっと広まってほしいという願いを込めて、このエントリーの締めくくりとしたいと思います。