以前、アクティブ・ホープワークショップというワークショップに参加した時に「繋がりを取り戻す第一歩目」として「感謝からはじめる」ということを学びました。
当時の僕は、感謝からはじめることがなぜ繋がりを取り戻すことになるのか、いまいちよく理解できていませんでした。感謝することは悪いことではないし、確かに感謝するとなんとなく繋がれたような感覚になるのでまあいいか、ぐらいに思っていました。
ただ、今日、なぜ感謝からはじめることが繋がりを取り戻すことになるのか、ようやく腑に落ちる体験がありました。
そのきっかけとなったのは、今日、フィールドワークで訪れた鎌倉・建長寺で目にした「迷惑をかけないという傲慢」と題された文を読んだことです。
書かれていたことはこんなことです。
「人様に迷惑を掛けるなとよく言われる。しかし、人は迷惑を掛けずに生きることはそもそもできないのであり、迷惑を掛けていないと考えてしまうこと自体が自分勝手であることの証拠だ。ではどうすればよいか?それは恩を忘れないことである。感謝し、恩を忘れないことで、傲慢にならずに、恩に報いることで人生に潤いがもたらされる」
「迷惑を掛けないように」と自分に言い聞かせると、ビクビクして消極的になる感覚が僕にはあります。その感覚が長く続くと、やがて、周囲と切り離され自分だけが孤立する感覚になります。そうなると、自分だけが頑張っているように感じられ、感謝する対象、必要性が生まれません。
一方で「感謝からはじめる」と自己と感謝した対象との間で繋がりが生じ、自分は分離していない、繋がっているという感覚が高まります。繋がっている感覚が高まると、その対象と自分の全体が包み込まれるように感じられ「すべてのことがあっていい」と受け入れられるようになります。そうすると分離が生み出していた「なかったことにしたかった」というエネルギーが解き放たれ、すべてのエネルギーが創造につながります。だから、愛とパワーのあるアクション(共創造)が生まれる、というわけです。
ここまで書いたことは、当たり前といえば当たり前ですし、とっくの昔に気づいていた人も多いと思います。ただ、僕にとっては「感謝」というものが何で、何をもたらすために存在しているのか、が明確になった体験でした。
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