今日は映画『小さき声のカノン』を制作された鎌仲ひとみさんたちが立ち上げられたプロジェクト3+1が主催するイベントのスタッフとして、運営に携わらせていただきました。
イベントの様子についてはこちらに紹介されていますので、ご覧になった上で本エントリーをお読み頂ければ幸いです。
このイベントの背景にあるもの〜「正しさ」を超えた「共感」から創る〜
今回のイベントの背景のひとつには、これまでの反原発運動を超えた展開を生み出すことがありました。反原発運動というと、政府や東京電力を相手取った「闘い」というパラダイムのイメージが強く、僕もどこかいまのエネルギー政策のあり方はおかしいと思いつつも、その流れに参加するかというと、Yesと言えない自分がいました。
また、そもそも僕は東京に住んでいて、電気に頼った生活を日々しているのにも関わらず、その土台をひっくり返すようなアクションをするのはどこか後ろめたさや罪悪感がありました。(こちらについてはこのエントリーで詳しく触れています)
両者に共通するのは「正しさ問題」です。正しさから動くと、正しい立場と間違っている立場の「分断」を引き起こしてしまいます。
この構図、日常に置き換えてみるとよくわかるのですが、正直あまりうまく機能しません。「あなたは間違っているからここを直せ」と言われたり、「自分には悪いところがあるから、それを直さなければならない」という心持ちから何かをやろうとしても、そもそもその声を受け入れられなかったり、仮に受け入れたとしても釈然としない感が残ったり、動き出してもうまくエネルギーが乗らないという経験はみなさんどこかでされているのではないでしょうか?
人がこの「正しさから来る分断パラダイム」に乗ってしまうのは「ラクだから」というものや「相手や自分が間違っているとした際に生まれる痛みに向き合う恐怖を避けたい」などの理由があります。
だからこそ、今回は「正しさを源にした分断パラダイム」を超えて、他者への共感、そして何より自分への共感をベースにした「共感を源にした繋がりパラダイム」へのシフトを意図し、私たちはチャレンジを試みました。
時間と空間を超えて繋がるスペースが生まれた
今回のイベントで、僕に一番響いたのは「原発事故を無かったことにしたいのは、実は私たちではないのか?」という言葉です。そして、この言葉を聞いて「東日本大震災を無かったことにしたいと、日本中のみんなが思っているのでは?」という声が自分の中に湧きました。
でも、それはできないことです。唯一できるのは、起きてしまったこと、いま起きていることを直視し、そこから来る悲しみや痛みや怒りをすべて感じきって、その上で、自分たちは本当は何を創り出したいのか?という内なる声に耳を澄ませ、その声に従って動くこと。
もちろんこれは容易いことではないのかもしれません。だけど不可能でもない。これが真実だと思いますし、何より今回のイベントが企画されたことそのものや、終了時の皆さんの表情が、実現できる可能性が示されたと感じました。
さらに、このイベントはメイン会場に加え、ウェブ会議システムzoomを活用し、遠方にいらっしゃる方も気軽に参加できる形としました。自主避難をされている方や震災の被害に遭われた方は長距離の移動が難しい方もいます。移動せずともまるで会場に一緒にいるように参加してほしい、また、同じく遠方で参加された方とも繋がれるように、そんなことを意図して企画し、実際にそれが実現できたと言える結果にもなりました。
今回のイベントはきっかけ、スタートに過ぎません。それでも、何か変化を創るきっかけを生み出せたのではないか、そんなことを感じています。今後もいろいろなアクションをしていきます。ここから何が起こっていくのか、とてもワクワクしています。
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