自分の中にある尖りを意識的に使う

メンタルモデル
LoganArt / Pixabay

先日facebookに「尖りを解放させていきたい」という主旨のことを書き込みました。予想どおりと言うべきか、想定外と言うべきか、結構な反響がありました。

「やはりそうだよなあ」と自分でも感じていて、出せる限りこの「尖り」を発揮させる方に自分を仕向けています。

 

「尖り」とは何か?

ここでの「尖り」は端的に表現すると「パワー」(力)のことです。

僕は「パワー」を行使することに怖さがあります。恐れというよりも怖さの方がしっくりきます。これは色々な怖さが混じっていて、いくつか挙げるとすると

  • 人を傷つけてしまう怖さ
  • 上記に派生して、その結果。人が離れていってしまうのでは?という怖さ
  • 自分の無力さ、非力さが露呈してしまう怖さ
  • 自分がパワーに乗っ取られてコントロールを失う怖さ

などです。特に傷つける、人が離れるは幼少期にパワーの使い方を誤って、実際に痛みを感じた体験があるので、自分のブレーキとなっています。

ただおかげさまで最近は「人が離れる」的な信念がだいぶ和らいできたので、パワーを使える感覚が戻ってきてます。

逆にパワーが上手く使えているときは、僕が自覚している以上にポテンシャルを発揮できているようです。これは周りの方からのフィードバックで知ることができましたが、何回聞いても自分の感覚とのズレを感じます。まだまだ「パワー」を使いこなす領域には到達していないことがここからもわかります。

 

傷つき、傷つけることを恐れない

これまではどうしても傷つけること、そして、その結果として自分が傷つくことを恐れていましたが、今は傷つけ、傷つくことを覚悟しています。どっちにせよ、人は生きているだけで傷つけ、傷つきます。

まだ利き手でない腕でボールを投げているようで、パワーをコントロールできていない感覚がありますが、投げないことには上手くはなれません。怒りに乗っ取られそうになるときもありますが、その時はその時です。

パワーを行使しながら、それをどこから、どんな意図で使おうとしていたのか?そしてそれは望む現実を創り出したのか?を常に内省しながら、積極的にパワーを行使します。

 

 

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