ホリスティック・サイエンス・セミナー体験記第6弾です。今日は主に4日目の午後について触れていきます。
古代の智慧を現代に蘇らせたインド治水プロジェクト
ディスカッションメインであった午前中とはモードを変えて、午後はケーススタディからスタートしました。題材となったのはインドにおける治水プロジェクトです。
こちらのプロジェクトは、当初政府や行政もさじを投げるほどの難易度の高いものでした。結局、そのまま不毛の土地として放置されていたのですが、とある学者の方が地元の長老の智慧を頼りに地元の住民を巻き込みプロジェクトを再び始動させたところ、見事に水源が復活し、緑の大地が蘇ったというものです。
トップダウンでもなければ、ボトムアップでもない、さまざまな人がよってたかったプロジェクトに関わり、最終的には政府や行政をマネジメントするレベルまでに成熟度が増した、聞けば聞くほど常識を凌駕する驚異的なプロジェクトでした。
これは古代の智慧をベースに、部分最適の罠に陥ることなく、全体が立ち現れたからこその大成功でした。「部分と全体」の話が概念で終わることなく、実例でそのインパクトを体験できたことは、今後の実践に向け勇気をもらいました。
全体が場から立ち現れた瞬間…
ケーススタディを経て、長かったホリスティック・サイエンス・セミナーもいよいよ4日目を終えようとしていました。この先の時間は、何か新しい内容のインプットではなく、これまでの内容も踏まえたダイアログが行われることとなりました。
まずは小グループに分かれてグループダイアログから始めることとなり、僕がいたグループには参加者に加え、リトリート施設のオーナー塩沢さんも入ってくださいました。
この時、僕が考えていたのは「何が自分をこの場に連れてきたのだろう?」ということでした。この4日間はとても贅沢かつ有意義な時間であると感じていましたが、個人的にはもう一段深まりがあってもよいとも感じていました。「何か」と出会う予感があったのですが、その「何か」はまだ現れていない、そんな感覚です。
そんな中、ダイアログが始まりまろうとしていました。4日間の感想や、いま自分に起こっていることなどを思い思いに話していきます。僕も自分の気持ちに尋ねながら想いを言葉にしていきました。
しばらくは普通のダイアログだったのですが、僕の中にある言葉が湧き上がってきた瞬間、時間の流れが止まったような感覚になりました。
それは、「いのちといのちが繋がり合う」というフレーズが降りてきたときです。この言葉が湧き上がってきた瞬間、なぜか涙が流れてきたのです。悲しいわけでもなければ、うれしいわけでもないのですが、涙は止まりません。僕はこの言葉に出会うために4日間を過ごしてきたのかもしれない、そう思わずにはいられませんでした。
「人が自分の本質=いのち」に繋がった瞬間は、何にも代えがたい美しさがあります。さらに、そのいのちに繋がった人同士が繋がり合うと、想像を遥かに超えた「何か」が現れます。それは繋がるまではわからないけれど、繋がってみるとまるで既に決まっていたかのような絶対性が生じます。そしてその絶対性はひとりひとりの意思が起点にありながらも、ひとりひとりの意思を超えた全体性から現れる、そんな性質を持っている。
僕はその時をただただ望んでいることに、その瞬間、気づいたのです。言葉が湧き上がってから、この気づきまではたぶん5分程度だったことでしょう。
でも、僕の中ではその時間は特別な一瞬として、今でも身体に刻み込まれています。
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