厳しいフィードバックができない時、何が起こっているか?

メンタルモデル

先日のエントリー「発信を起点とした好循環サイクルをつくる」に頂いたコメントから思わぬ気づきがありました。今回はそれを取り上げます。

 

なぜ厳しいフィードバックができないのか?

そこでのやり取りは、情報発信の際に「プラスの情報だけを扱う」と書いたことが起点となりました。

頂いたコメントに返事をしていく中で、実は「プラスの情報だけを扱う」のは「自分が痛い目に会いたくない」からではないか?とふと感じたのです。

そこからよくよく考えてみると、そう感じている自分が確かに存在していました。プラスのフィードバックのやり取りは自分にとっても、他者にとっても嬉しいことです。多くの場合、感謝されますし、自分も良い気持ちになります。

逆に、厳しいフィードバックはする方も辛いですし、受ける方はもっと辛いです。そして、得てして厳しいフィードバックをすると、フィードバックされた方からもより厳しい目線で見られます。

僕の場合、この「フィードバックの逆襲」を恐れていた自分がいたのです。

 

技術論としてのフィードバックを学ぶ前に…

フィードバックは「知識」「やり方」の話によくなりがちです。例えば「怒ると叱るの違いを扱ってほしい」というオーダーを人事の方から頂くことがあります。このオーダーを頂く時のお悩みは多くの場合「怒ったり叱ったりができない」です。

「怒ると叱るの違い」を知ったからといって、怒ったり叱ったりできるようになるわけではないので、この手のご相談をいただいた際には、そもそもの問題意識や発生している事象、目指す状態をきちんとお伺いします。そうしていくと、ただ「怒ると叱るの違い」を知るだけではダメだと気づいて頂けます。

本来であれば「怒ってばかりの人」など「怒ると叱るの違いがわからないことで問題が発生している」際に「怒ると叱るの違い」を学ぶことが有効なのですが、そうではない場合は不要です。そもそも「怒ったり叱ったりしていない人」にその区別を教えたところで、ただ知識が増えるだけです。

この話に限ったことではないですが、なぜか「知識」「やり方」を身につければフィードバックができるようになると考えられがちです。

しかし、その真因は、今回の僕のケースのように心理的な抵抗(逆にいつか厳しいフィードバックで逆襲されることを恐れている)であったりします。

技術論に飛びつく前に「何がフィードバックさせていないのか?」を吟味する必要があるのではないでしょうか?

 

一度腑に落ちると抵抗が抜ける

今回、自分が厳しいフィードバックを恐れていたことが明るみになったことで、かえって厳しいフィードバックを行うことへの抵抗が減りました。「相手のためを思って」と思い込んでいたのが「ただただ自分の保身のためだった」のですから。ただ、そこに気づくまでは本気で「相手のためを思ってフィードバックしない」と思い込んでいたのですから、思い込みの力は怖いな〜と改めて感じた次第です。

以上、自分の中では合理的で、明らかに結論づいていることこそ、意外な落とし穴が潜んでいるなと実感した出来事でした。

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