今回は先日のの続き。
先日のダイアログでは、柔らかい雰囲気ながらダイアログの流儀に忠実な場であった。最近では多くの場所でダイアログが行われているが、実はちゃんとしたダイアログが行われている場はあまり多くないと感じている。
それは、そもそも「ダイアログ」というものが、本当は深い概念であるにも関わらず、何となく皆が分かっているかのように錯覚する方法論であるからだと思っている。みんなで話せばすぐにダイアログになるかというと決してそうではない。個人的には「ディベート」と同じぐらいルール設定や場創りをして丁寧に扱うべきものだと考えている。
では、「ダイアログ」をするにあたって、留意するポイントはどのあたりにあるのか?僕は「ダイアログ」をする上で最も大切なことは、評価・判断(いい・悪い)を保留することにあると考えている。なぜかと言うと、僕たちが生きる上で「評価・判断」の習慣が染み付いてしまっていて、手放すことが一番難しい概念であると思うからだ。
具体的な方法論としては、常に頭の中で「評価・判断していないか?」というチェックをしながら、話を聴いたり、話をしたりするということが挙げられる。もちろん最初はうまくチェックできなかったり、ついつい評価・判断をしてしまったりする。それはそれで受け止めて、次に進むことを繰り返すと「あ、いま評価・判断をしたな」と気づけるようになる。
気づけるようになれば「評価・判断」を止めることができるようになり、話し合いで得られるものが豊かになっていく。話が思いもよらない方向に行ったにも関わらず、良い時間だったと思えるようになったら、対話がうまくいった証だ。
と、ここまで偉そうに書いてみたものの、僕もまだ練習中の身だ。ただ、「ダイアログの考え方と方法論」を、もしみんなで実践できたとしたら世界や生き方が豊かになると思っている。そんな世界を創るために、どこかのタイミングでみんなで学ぶ機会を創りたいと思っている。
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