外側にある正しさからではなく、自分の中にある真実から生きる

このブログのタイトルにもなっているSociety4.0は多面的な意味があるので、一言では表現しにくいのですが、表現のひとつとして、「外側にある正しさからではなく、自分の中にある真実が生む人と人同士の繋がりをベースに創る社会」と言えます。

しかし、僕を含む多くの人は「正しさ」を追い求めてしまう生き方をしがちです。その背景には「自分という存在の曖昧さが生む不安・恐れ」があるからです。

本当は正しさを追い求めたい訳ではないのです。自分が無いことへの不安から、強迫観念的に正しさを追い求めてしまうのです。

ただしほとんどの人はこの不安・恐れに無自覚です。しかも不安や恐れは顕在化すると都合が悪いので、さも「理論が好き」な自分を創り出すおまけが付いてきています。こうなってしまうと、「理論が好きな自分」がアイデンティティになってしまうので、その自分を否定されると、多くの場合、反応を引き起こします。

 

正しさを求める自分を創り出した、ある考えとは?

そもそもこんなことを書いている背景には、自分自身が自己疑念に陥り、そこから正しさを追い求めてしまっていたことに気づいた体験が最近あったからでした。

正確には、そんな自分の存在には気づいていたのですが、そんな自分を創り出している大元が何なのかについて正しく理解ができていなかったため、対処ができていませんでした。

今回、僕の自己疑念の根っこにあったのは「自分は人を不快にさせる存在である」という決めつけでした。幼い時の体験から「自分自身が在るがままでいると、人を不快にさせてしまう行動をとってしまう」という誤った考えを創り出していたのです。

そして、自分が在るがままでいると不快な出来事が起こるので、自分の外にある正しさを求める戦略を取る選択を無意識・無自覚に行っていたのです。

この考えを生み出した小さい時の体験はよく覚えていて、時々思い出すことがあったのですが、そこにどんな意味があったのかについては腑に落ちないままでした。

しかし今は、体験が創り出した考えと、その体験を通じてのメッセージが受け取れたので、長年の謎が解けたスッキリ感があります。

 

体験が伝えてくれたメッセージとは?

この体験が伝えてくれたメッセージこそが「外側にある正しさからではなく、自分の中にある真実から生きなさい」ということ、「正しい」と「真実」の区別を持ちなさいということでした。

「絶対的な正しさ」は存在し得ませんが、「自分の中での真実」はあります。「存在し得ない」正しさをどれだけ探究しても、「見つけたかもしれない!」という、ひとときの達成感と効力感と満足感はあるかもしれないが、結局「存在しないので」空虚感や自己疑念は結局埋まりません。

でも、真実は今この瞬間、自分の中にあること、起こっていることで、「正しさ」を分かち合っても、「ない」から繋がりは起こらないけれど、「真実」は「ある」から繋がりが起こります。そして人と人が繋がるからこそ社会を創ることができます。

改めて、正しさ(=無いこと)の追求に好奇心を使うのは止めて、真実(=あること)の探求に好奇心を使おうと思わせてくれる、いい体験でした。

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