ストレングスファインダーでこれまでずっと腑に落ちなかった強みが腑に落ちた体験

メンタルモデル
geralt / Pixabay

才能理解ツールとして有名な「ストレングスファインダー」の中に「自我」という才能があります。以下は「自我」の説明文です。

自我という資質を持つ人は、他人の目から見て非常に重要な人間になることを望んでいます。独立心に富み、人から認められたいと思っています。(「さあ、才能に目覚めよう」より)

僕も才能上位5つの中に「自我」がありますが、あまり自分に馴染んでいる感覚がなく、どこか持て余しているように感じていました。

ところが、この「自我」をクリーン・ランゲージをテーマにしたところ、自分らしい「自我」をモデリングすることができ、深く腑に落ちた体験がありました。今日はその体験についてご紹介します。

 

最高の状態で「自我」を発揮しているときとは?

セッションが始まる前は「自我」のセンスとして「承認欲求が高い」「自慢したがり」のような感覚を持っていました。違和感を感じながらも、これらの感覚を確かに自分も持っている感覚はあったので「まあ、そんなものか」と納得させていました。

しかし、今回、「自我」をモデリングしたところ、まったく別物の「自我」が浮かび上がってきました。

端的に記すと、僕が最高の状態で「自我」を発揮しているときは、自分のエッセンスをそのまま世界に表現しているとき、でした。そしてさらには、自分と周囲の方とのエッセンスが極めて純度の高いエネルギーとして統合され、それが世界に広がっている、というメタファーも出てきました。

僕にとって認められたいのは「自分」ではなく、そのエッセンスが持つ質感や、エッセンスのまま表現するという行為そのものだったのです。ここが明確になっただけでも、「自我」がイヤだなと感じる感覚が無くなりました。

 

どこか遠ざけていた「自我」をモデリングしたことで生まれた気づきとは?

そして、何より良かったことは、僕は純度の高いエッセンスそのものでありたいこと、そしてそれをそのまま世界に表現したい、表現しても大丈夫な世界を創りたいという願いを持っていることを意識化できたことです。

これまで僕は、「エッセンスはそのまま伝えるのではなく、うまく伝わるように加工して伝えなければならない」と思い込んでいました。でも、加工してしまうと、エッセンスの持っている良さが減少してしまう感覚があり、結局伝えたいことを伝えられない不完全燃焼感や自己嫌悪を感じずにはいられませんでした。

そのため、不完全燃焼感や自己嫌悪を遠ざけたり、やっつけるために「いかにうまく形にするか?表現するか?」ということに力を入れていました。特に人とのコミュニケーションの際には、内面が大事であることは重々理解していながら、どうしてもスキルやテクニックに頼りたくなる自分が存在していました。

今回のセッションを経て「エッセンスをただそのまま扱いたい」ことが明確になったので、これからもスキルやテクニックは必要となるかと思いますが、欠損を埋め合わせるようなトーンで学ぶことは無くなるかなと感じています。

 

いまやっているエッセンスを表現する取り組み

最後に、僕がいまやっている「エッセンスを表現する取り組み」についてご紹介させてください。

一つは今回僕が体験した「クリーン・ランゲージ×ストレングスファインダー」のセッションです。これまでも何人かの方にご提供していますが、同じ強みでもメタファーが全然違うので、とても興味深いです。「同じ強み」は存在しないんだなーとセッションの度に感じています。

二つ目は、先日リリースしたばかりの「全体性から創る人材育成」です。なんだかわかりにくいイベントかもしれないのですが(笑)、実は僕のエッセンスに最も近い取り組みと考えています。あまり世の中で語られていない新しい人材育成のあり方について分かち合えればと思っています。ご興味のある方はぜひ飛び込んで頂けると幸いです。

 

 

 

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