傷ついた男性性をベースに駆動する権力構造のシフトのために必要なことは?

先日「ソーシャル・レバレッジを探せ!〜”傷ついた男性性”の本質」というワークショップに参加してきました。これは以前レポートしたワークショップの続編にあたり、「傷ついた男性性の癒し」をメインテーマに開催されました。

今回はワークショップの内容紹介というよりは、ワークショップを踏まえて僕が考えたことをご紹介します。(ワークショップの内容について知りたい方はこちらをご覧頂くと良いかと思います)

 

男性性と女性性とは何か?

はじめに、「男性性と女性性とは何か?」について探求するところから、ワークショップがスタートしました。男性性、女性性というと何となく、「男らしさ」「女らしさ」を示すようなものと考えがちですが、ここで使っている男性性、女性性とは質感を表現しているに過ぎません。

ざっくりですが、男性性とは「方向づけ・変化を生み出すエネルギー」を、女性性とは「空間・場を作るエネルギー」をそれぞれ指します。そして、男性性と女性性が掛け合わさることで「創造」が起きます。これは人間でももちろんそうですし、例えば植物でも、空間・場としての土があって、方向づけ・変化を生み出す起点としての種や太陽光があるから育つなど、「命が育まれるプロセス」に共通する構造になっています。

 

権力構造と男性性の繋がりとは?

では続いて、権力構造と男性性の繋がりについて考えていきます。本音を言えば前回のブログを読んで頂けるとこのパラグラフごとカットできるので楽なのですが(笑)、振り返りも兼ねて改めてまとめてみます。

権力とは一言で言えば「パワーの行使」です。もちろん役に立つパワーの使い方は存在しますが、権力としてパワーが行使される場合には「正しい・間違っている」「良い・悪い」「快・不快」など二元論が前提になります。

つまり「自分たちが正しい、良い、心地よい存在であり、同時に、相手は間違っている、悪い、不快だ」という前提でのコミュニケーションが権力の行使にあたります。

ここでおそらく、ほとんどの方が感じられたと思いますが、この行使の仕方はパワーの使い方としてイマイチです。表現ではなく、抑圧のためにパワーを使っているからです。

抑圧はあくまで表面的な現象に過ぎません。権力の本質的なイマイチさは「正しさ」を超えたところにある真実を覆い隠してしまう所にあります。

では、なぜ権力の行使が行われるか?その根元に「男性性の傷つき」があると考えます。本来はあるはずの力を何らかの削がれる、奪われるなどの体験から、本来あるはずの男性性を欠けたもの、失われたもの、無かったものにしてしまうのです。

ですが、「力が削がれる、奪われる、欠けている、失われた、もともと無かった」ことは恥ずかしくてなかなか周りに明かせるものではありません。「非力な男性・無力な男性」と聞いて湧きあがる感覚に意識を向けて頂くだけで、その「恥ずかしさ・明かせなさ」は伝わるものかと思います。

そして、その「恥ずかしさや悔しさを感じた体験を隠し、無いことにした男性性」を取り戻すために権力が行使されます。ここでのカギは「無いことにした」です。裏を返せば「男性性はある」のです。

 

傷ついた男性性を取り戻すには?

よって、傷ついた男性性を取り戻すには「権力の行使」ではなく、自分の中にある「あるはずなのに無いことにした男性性を認識、受容(=確かにある、という実感で満たす)すること」がカギになります。

そして、ここから先が少しややこしいのですが、「あるはずなのに無いことにした男性性」を受容するには女性性を使います。まず自分の中に男性性を置く器がいるからです。

つまり、男性性を取り戻すためには女性性が必要なのです。この点を掴んでいないと、男性性を取り戻すために男性性(権力)を行使する、よくよく考えて見れば不自然なパワーの使い方をしてしまうのです。

 

傷ついた男性性を取り戻した先にあるものとは?

傷ついた男性性を取り戻した先にあるのは、創造に使えるパワーです。抑圧ではなく、自分の中にある男性性と、女性性が統合されることで創り出される願いを表現する力として男性性が使えるようになります。よって、この源から使われる男性性は、抑圧ではなく表現として世界に現れます。

まとめると、権力構造のシフトに必要なことは「さらなる権力の行使」ではなくて、「本当はあるのに無いことにしている男性性に女性性を使うことによって繋がり直し、そこから表現すること」になります。

僕のメインフィールドとしている人材育成・組織開発の分野における昨今のリーダーシップ開発の潮流もこの流れに沿うもの(超ざっくり言うと、特定の誰かが発揮するリーダーシップから、一人ひとりの中にあるリーダーシップを発揮する)ですし、おそらく社会全体がこちらの方向に向かっていくのではないかという仮説を持っています。

ここまで書いてみて感じるのは、「そろそろ実践に行きたいなあ」という気持ちです。個人的には「個人の変容から社会の変容がどう繋がっていくのか、どのようなプロセス、メカニズムになっているのか?」に関心があり、その繋ぎを創るプロトタイプを模索したいなと、そんなことを考えています。

 

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