自分の中にある空虚さが教えてくれること

先日投稿したこちらのテーマ、「悲しみ」から「空虚さ」に変化してきました。折を見て、その感覚を用いたインナーワークをしているのですが、今日も外出先のカフェでワークをしていたところ、とある気づきがありました。

 

空虚さを埋めるためにやっていること

まず扱ったのは「空虚さを埋めるためにやっていること」。
僕にとって、その代表的な行為は「学ぶ」がそれにあたります。

「空虚な自分は価値が無い、価値をつけるために学ぶ」、そんなストーリーです。
加えて、「では、学ばないと何が起こると思っているのか?」と自分に問いかけてみました。

そこで返ってきたのは「責任を取ることを恐れている」というフレーズでした。

このテーマもしばしば登場してくるもので、
今回の場合「責任を取れる状態にするために学んでいる」というストーリーを作るために出現してきました。

で、さらに「責任が取れないとなると何が起こるのか?」と問いかけると
「男として価値がない」に辿りつきました。

 

ふと浮かんだ幼少期のとある場面

ここまで来たところで、幼少期のある場面が浮かんできました。それは「小さい頃、おままごとセットが欲しくなり親にねだったところ、困った様子の親を見ている」という風景でした。

今はどうかわかりませんが、当時はおままごとは女の子の遊びでした。僕もなぜ欲しくなったのかはあまり覚えていないのですし、普段は他の男の子と同じような(当時からマニア?オタク的な要素はあったので、たぶんそれ以上に)車や電車で大好きだったのですが、なぜかその時、おままごとセットが欲しくなり、親にねだったのです。
多少、女の子の欲しがるものを欲しがっているという自分にも気づいていた気がします。

しかしその時、困った顔をしている親を見て「ああ、自分は親を困らせてしまった!」と感じてしまったのです。(確か買ってもらったと思いますが、罪悪感のせいか、遊んでいた記憶はありません)

おそらくその時に「女の子の欲しがるものを欲しがってしまった自分はどこかおかしい」
と決めてしまったのだと思います。

それが「自分は男として価値がない」と置いた出来事の一つであったようです。

 

見出し

よくよく観察していくと「おままごとセットを欲しがったこと」と「男として価値がない」に関係がないことは一目瞭然なので(連想はできますが)、「その時はただ欲しいと思っていて、その気持ちをただ認めてほしかったんだな」と一区切りつけることができました。

そして「自分」というのは「さまざまな気持ちや考えが現れては、通り過ぎていくただの器なんだな」という感覚が湧いてきました。

一連のワークを終えて外に出ると、街の匂いがいつも以上にしていることに気づきました。
おそらく、閉ざしていた感覚が開き、嗅覚が鋭くなったのだと思います。

以上が今回の体験です。

空虚さは本当に色々なことを教えてくれます。引き続き、この空虚さが教えてくれることと、淡々と向き合っていきたいと思います。

 

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